【コラム】株式会社クラウダー社長コラム[№2]

株式会社クラウダー

「議論はいらない。実行あるのみ」

株式会社クラウダー立石です。

コラム第二弾になります。

冒頭にて抜粋したのは半生をアフガン及びパキスタンでの医療活動に従事された中村哲さんの言葉です。

この言葉はクラウダーの社名のルーツとなった言葉と言っても過言ではありません。

彼の著書やドキュメンタリー等を拝見し、感銘を受ける内容が多かったので簡単にご紹介させていただきます。

中村哲さんは終戦直後の1946年9月15日生まれ(福岡市出身)

ちなみに母方の伯父である小説家の火野葦平さんは「糞尿譚」で芥川賞を受賞。

自伝的長編である代表作「花と竜」は石原裕次郎さん、高倉健さん、渡哲也さん等、日本映画史に燦然と煌めく名俳優陣による主演で度々映画化されています。

大好きな映画の話はまた別で出来ればと思いますが、中村哲さんは幼少期に火野葦平さんと過ごされた時間も多く、影響を少なからず受けられているようです。

著書にて火野さんについてこのように書き記されています。

「愛してやまぬ人の情の美しさを謳い、弱さや醜さの中にも、きらりと輝く美を発見しようとする。」

それを象徴するような火野葦平さんの一句が、北九州市若松区の高塔山の文学碑に刻まれていますのでご紹介します。

「泥に汚れし背嚢に さす一輪の菊の香や 異国の道をゆく兵の 眼にしむ空の青の色」

この感性は間違いなく中村哲さんに引き継がれていると確信しています。

前置きが長くなりましたが泥中の蓮と言っても過言ではない彼の経歴を以下に記します。

1973年
九州大学医学部を卒業

1984年
大牟田労災病院等で勤務した後、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から派遣される。

パキスタン北西辺境の州都ペシャワールのミッション病院ハンセン病棟へ赴任され、医療設備がままならない環境の中でパキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療へ従事。

1989年
アフガニスタン国内へ医療支援活動を拡大。山岳部医療過疎地でハンセン病や結核など、特に貧困層に多い疾患の医療活動へ従事。

医療が整備されていない現場に診療所を開設した際は患者が押し寄せた。

「群れを成して待機する患者たちを見て何事かと驚いた。外来で待つ間、死んで冷えていく乳児を抱えた若い母親が途方にくれていた。」

その多くは水不足により泥水を飲んだ為の腸管感染症であった。

2000年
砂漠化により旱魃が進むアフガニスタンで飲料水や生活用水を確保する事が何よりの医療と考え、白衣を脱ぎ医師としてではなく農村復興の為に以後約1600本の井戸を復旧及び掘削。

当時飢餓線上400万人、餓死者100万人と言われた旱魃被災者の多くの命を救う。

2001年
同時多発テロの報復によりアフガニスタンが空爆の標的となりタリバン政権が崩壊。

中村さんは一時帰国しアメリカ軍への給油支援や自衛隊派遣に臨む日本政府に対して国会に登壇し発言。

「自衛隊派遣は有害無益。飢餓状態解消こそが最大の問題である」

「どんな事があっても武力はもちろん、制裁や報復に対して報復を加えるという事は憎しみを倍増させるだけ」

その後、現地での実情を訴える日本での募金活動により1か月で2億円の寄付を集め、ただちに戦地である現地へ戻り食糧支援をスタート。

1家族あたり3か月分の食料が配布され、最終的には27万人の命を救う事に成功。

2003年
進行する砂漠化により井戸が干上がっていく現状に対して用水路建設事業をスタート。

自らその為の土木技術を学び重機を操縦する姿に現地スタッフが次々と賛同し事業拡大。

最終的には600名が用水路建築へ従事。アジアのノーベル賞と言われる「マグサイサイ賞」を受賞。

2004年
福岡県朝倉市にある山田堰から着想を得て、約1500mのマルワリード用水路が完成。

地元福岡にヒントがあった事に対して、「人は見ようとしているものしか見ない」と発言。

2007年
全長13kmまでマルワリード用水路拡張に成功。結果、干上がった農地には稲やトウモロコシ等の農作物が実り、都市部に避難していた難民が続々と戻り復興。

用水路事業により救われた命は65万人とされる。

「乾いた大地で水を得て、狂喜する者の気持ちを我々は知っている。水辺で遊ぶ子供たちの笑顔に、はちきれるような生命の躍動を読み取れるのは、我々の特権だ。そしてこれらが平和の基礎である」

2008年
「子供たちには学ぶ場と遊ぶ場が必要だ」との考えからモスク(教会)とマドラサ(学校)の建築をスタート。

2009年
マドラサが開校し約600人の子供達が学習できる場を確保。

2010年
マルワリード用水路を25.5kmまで拡張。

水害による洪水での設備決壊に対して柳を植えるなどの補強工事を考案し実行。

2019年
復興支援の為にアフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードを車で移動していたところ、現地武装グループによる凶弾に倒れ死亡。

アフガニスタン大統領が駆けつけ遺体の棺を自ら担ぎ運搬。

福岡市の斎場で実施された告別式では親交のあった上皇夫妻、秋篠宮夫妻などから弔意が寄せられ、
アフガニスタン国民からも「国として情けなく恥ずかしい1日。」等のコメントが数多く寄せられる。

一説によると犯人とされるメンバーは中村さんを襲う気は無かったと発言していたようですが、その人物も既に亡くなったと報じられており現在も真実は闇の中です。

・2021年
アフガニスタン政府により人道支援活動を称えて中村さんに肖像をデザインした切手が発行。

2022年
中村さんが亡くなったジャララバードにて、その功績を称える追悼広場「ナカムラ」が完成。

以上、時系列で自分なりにまとめさせていただきました。

もっともっと紹介したい内容はありますがご興味のある方は、後述する中村さんの著書や映画などご確認いただければと思います。

以下、数多くある中村哲さんの印象的な言葉を抜粋します。

「見捨てちゃおけないという以外に理由はない」

→元々は昆虫採集と登山が趣味で、たまたま1978年にパキスタンにある7000m峰のティリチ・ミール登山隊へ、帯同医師として参加したのも「登山ができるから」という理由だったそうです。

その際に現地の惨状を目の当たりにした事がきっかけとなり、35年間の医療支援を続けられた中村さんの言葉だからこそ、真摯に受け止めたいと思います。

「各国の国際支援はフィクション」

→〇〇億円の支援などのニュースをよく目にしますが、中村さんは実際にその国の為に使われている実感が全く無いと仰っています。

真偽がどうであれ常に現場の第一線で支援活動を実施されていた中村さんの言葉は強い説得力に満ちています。

「食料やお金がないから国が争う。水さえあれば食料は作れる。」

→これぞ問題の根本解決。

表面的な支援ではなくその国の方々の未来を創る為の礎となる活動をされ、戦車やミサイルでは平和は生まれず、小麦や作物こそが平和に繋がります。

さらに現地の方々が永続的に生産できる環境を整えるまでが、本当の支援だと強く発信していた中村さんの言葉は私自身の胸を強く打ちました。

「信頼関係がある事が武器よりも何よりも大切」

→日本人医師である中村さんに対して現地アフガニスタン国民が献身的に活動を支えていた大きな理由は、実際に行動に示して信頼を勝ち取り、さらにその活動報告を日本の「ペシャワール会」へまめに報告され、日本国内でも支持され活動資金を得ていた中村哲さんならではの言葉です。

「一隅を照らす」

→中村哲さんが座右の銘とされていた言葉です。

一人ひとりが自分のいる場所で、自らが光となり周りを照らしていくことこそ、私達の本来の役目であり、それを積み重ねる事で世の中が形成されるという想いが込められています。

中村哲さん 受賞歴

・1988年 
外務大臣賞 受賞(外務省)1992年 毎日国際交流賞 受賞(毎日新聞)

・1993年
西日本文化賞 受賞(西日本新聞)

・1994年
第一回福岡県文化 交流部門賞 受賞(福岡県)

・1996年
読売医療功労賞 受賞(読売新聞)
厚生大臣賞 受賞(厚生省)

・1998年
朝日社会福祉賞 受賞(朝日新聞)

・2000年
アジア太平洋賞特別賞 受賞(毎日新聞 アジア調査会)

・2001年
著書「医者井戸を掘る」 第7回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞

・2002年
日本ジャーナリスト会議賞(日本ジャーナリスト会議)
若月賞(長野佐久総合病院)
第一回沖縄平和賞 受賞(沖縄県)

・2003年
マグサイサイ賞 平和と国際理解部門 受賞
大同生命地域研究特別賞 受賞(大同生命保険株式会社)

・2004年
イーハトーブ賞 受賞(岩手県花巻市)
アカデミア賞 国際部門 受賞(全国日本学士会)

・2008年
第3回モンベル・チャレンジ・アワード 受賞(モンベルクラブ・ファンド)

・2009
農業農村工学会賞 受賞(旧農業土木学会)
福岡市市民国際貢献賞 受賞(福岡市)

・2010年
アフガニスタン国会下院 表彰

・2013年
福岡アジア文化賞大賞 受賞
第61回菊池寛賞 受賞

・2016年
秋の叙勲 旭日双光章受章

・2017年
第8回KYOTO地球環境の殿堂入り

・2018年
アフガニスタン国ガニ大統領より ガジ・ミール・マスジッド・カーン勲章授与»
DVD「アフガニスタン 用水路が運ぶ恵みと平和」平成30年度農業農村工学会メディア賞 受賞
土木学会賞技術賞 受賞

・2019年
アフガニスタン名誉市民権 授与
旭日小綬章 授与
内閣総理大臣感謝状 授与

・2020年
福岡県県民栄誉賞 受賞(福岡県)
大牟田市民栄誉賞 受賞(大牟田市)
福岡市名誉市民 授与(福岡市)

他多数

著書

  • 天、共に在り 
  • アフガン・緑の大地計画[改訂版]
  • 人は愛するに足り、真心は信ずるに足る
  • アフガニスタンで考える−国際貢献と憲法九条

他多数

※著書やDVDは中村哲さんの活動を長年支えてきたペシャワール会よりご購入される事で、現在も続く支援活動を支える事に繋がりますのでご興味のある方はぜひ下記リンクよりお願いします。

【サイト】→http://www.peshawar-pms.com/index_book_tachiyomi.html

中村哲医師 特別サイト

追伸

記事を書き進める程に偉大な方が亡くなられた喪失感を改めて実感しております。

数々の輝かしい受賞歴よりも目の前の困っている人々を1人でも多く救う事を重要視されていたと思いますが、この方こそが国民栄誉賞にふさわしいのではないかと強く感じています。

個人的に2022年のベストムービーであった「荒野に希望の灯をともす」の朗読を石橋蓮司さんが担当。

さらに2012年に公開された記録映画「アフガニスタン 干ばつの大地に用水路を拓く」、および2009年発売の「アフガンに命の水を〜ペシャワール会26年目の闘い〜」にて、中村さんと個人的にも親交があった生前の菅原文太さんが力強い声で朗読されています。

菅原さんは中村さんについて、

「やくざの世界でも任侠や侠気(強きをくじき弱きを助ける心)が薄れたが、まさに中村さんは侠気なんだ。苦しむ人々を見て放っておけなかった。漢気のある日本人だよ。

高らかに自分の功績を話すわけでもなく黙々と働く。口先だけの男とは違う。

生きた仕事だから本物の言葉が出てくる。現地で敬われているのが映像からもありありと感じられる。」

と、仁義なき戦いの主演俳優らしい言葉で中村さんを表現し、「哲さんの為なら何でもやる」とも仰っていました。

残念ながらイタズラに人を蔑んでしまったり貶めてしまったり、ただ不平不満を並べたり揚げ足取りをするだけで何も行動が伴わなかったり、必要以上に自画自賛をするような人物が権力を持ってしまう事実は往々にして存在します。

中村さんのような本物のリーダーシップをもった人物こそ、今のこの国この時代に必要とされている事はひしひしと感じています。

労働者の権利や立場が一昔前と比べて強くなっている昨今に於いて、従業員1人1人が上に立つ人物を見定める事が出来るからこそ常に自戒の念をもって、社内外で弊社に関わってくれている方々が問題を抱えている場面に直面した際には、

「こんな時、尊敬する中村哲さんであればどうするか」

を念頭に置いて行動を起こし、それが「一隅を照らす」結果となり連鎖してくれれば非常に嬉しく思います。

悔やむべきは今後ご本人とお会いする機会を永久に無くしてしまっている事です。

中村哲さんを支えたペシャワール会に対して微力ながら貢献できるようコラム掲載させていただきます。

中村哲さんの安らかなご冥福をお祈り申し上げます。

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